能は、舞踊と音楽、演劇が一体となった総合芸術です。室町時代、能の作者である世阿弥(ぜあみ)は、当時流行した「幽玄美」という要素を取り入れてブランド化し、能をヒットさせました。「幽玄」は、音曲や姿かたち、静けさなど、美の要素を重視しています。
今回取り上げるのは、東西で活躍する観世流、宝生流の能楽師。今旬の二人の能楽師の面に映し出された感情や人生観を、どうぞご鑑賞ください。
今回の「能楽なう」の『藤戸』『善界 白頭』でシテをつとめる、宝生流能楽師の小倉健太郎さん、観世流能楽師の林宗一郎さんのお二人にインタビューを行いました。両作品の見どころからお二人の人柄にも触れることができました。
(インタビュア:札幌市教育文化会館事業課職員)
小倉健太郎(以下、小倉):
宝生流は、型より謡に重きを置いていると言われているため、どちらかという静かだと言われています。一方、観世流の『善界 白頭』は動きがある演目なのです。「能楽なう」では、宝生流の「静」、観世流の「動」を感じてほしいです。
宝生流 能楽師シテ方 小倉健太郎氏
(小倉):
『藤戸』は、戦争の被害者の話で、息子を殺された母親、亡霊となった息子が登場します。「親子」「戦いの不毛な点」に注目してほしいです。『藤戸』の中盤で、母親が狂乱し、感情が露わに見える場面があります。母親の「なぜ、自分の息子が殺されてしまったのか?」という思いを、自分に置き換えて想像して観ると興味深いかもしれません。
林宗一郎(以下、林):
『善界 白頭』は、日本の仏教界を落とし入れようとやってくる天狗の話です。前半は日本代表の天狗と中国代表の天狗の密談がメインなので、視覚的にも静かな舞台に見えると思います。しかし、自信満々で偉そうだった中国の天狗が、後半には本性を現し慌てふためき激しく動き回り、その対比が面白いと思います。「能」はゆっくり動くイメージがありますが、『善界 白頭』は激しく動き回る能ですので、見物だと思います。
『藤戸』(小倉):
前シテの面は曲見(中年女性の面)で、装束は色無唐織(紅色が入らないもの)です。
後シテの面は痩せ男(男の幽霊のシテの面)になります。
『善界 白頭』(林):
面によっては、目の部分が金色をしているものなどがあり、特殊な能力を持っていたり、精神状態が普通ではない様子を示しています。今回の天狗は金色の目を持っていて、魔力を持っていることを示しています。また後半では全身真っ白の装束で登場します。これは並外れた魔力をもっていることを表しています。
(小倉):
能は踏み込みにくい世界ではありますが、緊張しないで公演に足を運んでもらいたいです。あらすじを読み考えるというよりは感じてほしいですね。なんとなく日本語を聞いていたら、今、どのような場面なのかイメージができると思います。100人いたら、100通りの見方があると思うので、ぜひ現場の景色を想像しながら観てほしいです。また、ぜひ能舞台というものを一度観てほしい。能楽が生まれた当時は屋外で行われていたために屋根が付いていたのですが、「現在の能舞台にもなぜ屋根がついているか?」などと思いを馳せながら気軽に観てもらえたらと思います。
(林):
能は凡そ4つの要素で出来ていると思います。
それは謡、舞、面、装束、囃子。
内容を理解したり台詞を聞き取るのは難しいと思いますが、「何となく」で良いので、「謡の声綺麗だな。舞の所作がかっこいいな。能面の造形や装束の色が美しいな。囃子の掛け声は凄い迫力だな。」など、御覧になられる皆様がいろんな角度から思い思いに御覧いただけばよいのではないでしょうか。
観世流 能楽師シテ方 林宗一郎氏
(小倉):
能は、言葉を理解するというよりは、感じるものだと思っています。能を観ながら、肌で空気を感じ、目で楽しんでみてほしいですね。
(林):
能のあらすじを事前にお調べいただけると助かりますね。その上で能がテーマにしている普遍的なもの、例えば神仏を敬うことや反戦を訴えること、恋愛の美しさや純粋な気持ち、親子の情愛など、その作品のテーマを意識して御覧いただくと楽しんでいただけるのではないでしょうか。今申しました普遍的なものは世界共通だと思います。
(小倉):
祖父の代から能楽師の家に生まれたため、自分自身は知らないうちにやっていました。初舞台は四歳のときでした。18歳になり、宝生宗家のもとに内弟子入りし、30歳まで住み込みで勉強させていただいておりました。
(林):
代々能楽師の家であったため、いつからとなく「この道で生きていくんだ」という意識があり、物心つく前から舞台に立っていたようです。
親の理解もあり学生時代はサッカー部に所属したり割と好き勝手にやっていました。もちろんこの道をやりながらですが。その好き勝手させてくれたことが「この道を受け継いでいくんだ」という決意に繋がっていったのでしょうね。
(小倉):
ほっとしたときにお酒を飲むのが好きです。舞台を離れてしまえば普通の人です(笑)。
(林):
無理にでも休日を作り家族と過ごす時間を作るように心がけています。
(小倉):
舞台をするという意識は常に持っています。根詰めて稽古をするというよりは、いつも意識がある状態です。家でも少し動いたりして、時間をかけて本番に向けて意識を高めています。その中で、色々な考えが生まれてきたりします。感覚が鋭くなるには、普段の積み重ねが必要だと思っていますし、自分自身が努力しなければいけません。
(林):
どの舞台も普段の積み重ねでしかないと思っているので、特別なことはとくにしていません。
気持ちのスイッチも直前にならないと入らないタイプです(笑)
しかし慣れない土地で能を初めて舞うことへの不安は正直ありますね。
(小倉):
特に「この演目をしたい」と思うことはありませんが、謡が中心で、所作が少ないものにチャレンジしてみたいです。決められた謡、決められた型から外れない中で、自分が表現したいことを観客に伝えられるような能楽師になっていきたいと思っています。能楽師として生きている人生を通して、芯の強い役者になっていきたいと。じっとしている状態だとしても、見ているだけで、凄みや、「悲しい」「嬉しい」などの感情を感じ取ってもらえるような役者になっていきたいと思います。
(林):
芸術のはかなさですよね。舞台芸術というものは、終わってしまったら形が残らないでしょう。形に残らないからこそ、心を尽くして舞台に立ち、お客様の心に残るように努めていきたいです。「あの時、あの舞台、すごく良かったよね」と、印象に残る舞台を生み出す役者になっていきたいと思います。
小倉健太郎さん、林宗一郎さん、ありがとうございました。
東西で活躍する観世流、宝生流の能楽師のお二人。
今旬のお二人の面に映し出された感情や人生観を、どうぞご鑑賞ください。
皆様のご来場をお待ちしております!
シテ 小倉健太郎
ワキ 大日方 寛 ワキツレ 則久英志
アイ 茂山 茂
後見 當山孝道 和久荘太郎
地謡 金井雄資 東川光夫 小倉伸二郎
當山淳司 川瀬隆士 田崎 甫
笛 竹市 学 小鼓 成田達志
大鼓 亀井広忠
太郎冠者 茂山童司
主人 茂山 茂
客 茂山逸平
シテ 林 宗一郎 ツレ 坂口貴信
ワキ 則久英志 ワキツレ 大日方 寛
アイ 茂山逸平
後見 味方 團 松野浩行
地謡 観世喜正 浦田保親 谷本健吾
川口晃平 河村和貴 樹下千慧
笛 竹市 学 小鼓 成田達志
大鼓 亀井広忠 太鼓 前川光範
2018年6月12日【火】
18:30開演 / 17:45開場 上演時間 約3時間(休憩あり)
S席5,500円 / A席3,500円
U-25席3,000円 / 自由席1,500円
※自由席は2階席後方のお席になります。
※教文ホールメイトは全席指定、S席5,000円、A席3,000円。
※U-25席(鑑賞時25歳以下)および教文ホールメイトは、
教文プレイガイドのみ取り扱い。
※U-25席購入時には身分証明書をご持参ください。
教文プレイガイド 011-271-3355
大丸プレイガイド(南1西3)011-221-3900
道新プレイガイド 011-241-3871
チケットぴあ 0570-02-9999(Pコード485-506)
ローソンチケット 0570-084-001(Lコード12548)
※未就学児の入場はご遠慮ください。
※車椅子をご利用の方は前日までに教文プレイガイドまで
ご連絡ください。
小倉健太郎
宝生流の能は地味であり、『藤戸』は私の年代では少し早い気もしますが、流儀で定められた謡、型をしっかり勤め、あまり写実的にならぬよう心持ちを内にとり、皆様がふとした時に、母親の悲哀、漁師の亡霊の型どころを思い出していただけるような舞台を勤めたいと思います。
源平合戦が治まった後、藤戸の先陣をつとめた功労によりこの地を領有することになった佐々木三郎盛綱は、領民どもの訴訟をとり上げようと布令を出します。そこに老女が現れ、合戦で罪科もない我が子が盛綱に刺殺されて、海底に沈められた恨みを申し立てます。ついに盛綱は、馬で通れる浅瀬の場所を浦の男に聞き出し、秘密が洩れぬよう男を海に沈めたことを打ち明けます。そして嘆く母親を慰め、管弦講を以ってその男の霊を弔います。すると男の亡霊が海中から浮き上がり、刺し殺された辛さ・惜しさを訴え、悪霊となって恨みを晴らそうとしますが、成佛すると語り、再び水中に姿を没します。
林宗一郎
以前、シテ方五流をくらべる催しを開催したことがございます。私が所属する観世流の特徴は一体何なのかを自分なりに検証してみたい! と思ったからです。そこで感じたことは、「常に時代の最先端でありたい」流儀なのかもしれないと…。
私がつとめます『善界』とは中国の天狗の名前です。仏教界を乗っ取り堕落させるために日本へやってきますが、僧正の祈りで不動明王や神々が現れます。散々に懲らしめられた善界は虚空へ逃げて行くのでした。今回は、近年、流儀の正式な小書になった「白頭」が付きます。「白頭」とはかつらの一種で白色のボーボー髪、劫を経た老体や鬼畜、神体などに用いるので、自然とその動きはドッシリとしたものになります。この小書が付く曲目は他にもございますが、『善界』は重厚さだけではなく、豪快に動き回るのが特徴といえ、今までとは違う「白頭」のインパクトを与え、なおかつ天狗の滑稽さを描くものになると思っています。どうぞ最後まで、ゆっくりとご覧ください。